私と音楽 ピアノの話

なんじゃこの絵

子供のころ、ピアノを習っていた。

2歳の時に初めてピアノ教室に連れていかれた。
でも小さすぎてまだピアノは早い、との事で、代わりに歌を習っていた。
その後、何歳からなのかピアノを習うようになり、小学校に上がるころ祖父が高額なアップライトピアノを買ってくれた。
当時、私たち家族はアパート住まいだったからピアノはうちのアパートではなく、祖父の家に配達された。祖父の家は大通り沿いの三階建てで、一階と二階は店舗貸しをしていて、祖父たちは一番上の階に住んでいた。階段からピアノを運ぶことが出来ずにクレーンで吊るして窓からピアノを入れた。
私はその場にいてその工程を眺めていたのか、後になって誰かに聞いたのか定かではないが、毛布のようなものに包まれたピアノが吊り下げられているのを下から見上げて凄いなと思った(ように思う。。)
ここまで読むと幼少時からの英才教育でピアノの腕もかなりのもの、と思うかも知れない。
でも私は練習が嫌いだった。
ピアノも持っていなくて、お教室で習ってすらいない友達のみーわーのほうが上手だった。
小学校が終わるとみーわーと一緒に祖父の家に行き、みーわーと一緒にピアノで猫ふんじゃったを引いた。
みーわーは「荒城の月」を弾くのが上手だった。
荒城の月はみーわーが弾いたのを聞いて覚えた曲で、後にも先にも学校で習うことはなかった為、今になってみーわーはどこで荒城の月を覚えたのだろうと不思議に思う。

さて、私というと、一つのことに集中して取り組むことが苦手で、何をやってもすぐに飽きた。
自分でも何をやっても続けられない事には子供ながらに気づいていた。
割とやれば出来る子だったのだけど、通信簿にはいつも「優しい」「良い子」などの誉め言葉が並んだあと、「注意散漫」「忘れっぽい」と続いた。
少し大きくなると私はもしかしたら何かの病気かも知れないと思うこともあったけど、
大人の自分になって振り返ってみると、ただただ怠惰だったんだと思う。

でも音楽を聴くのは好きでずっと聴いていられた。

小学校3年生の時、掃除の時間に床を雑巾がけしていた男子が私の足元に激突してきて、すっころんで頭を殴打する事があった。
少し前にTVでくも膜下出血で誰かが無くなったニュースをやっていて、頭を強く打つと血管が切れて死に至る事があるという知識を得ていた私は、アパートの居間でアイネクライネナハトムジークのレコードをかけてソファーに横たわり、ああ、私はさっき転んだ時に頭を打ったので、くも膜下出血しているに違いない、もう死んでしまうのだ、短い人生だったな。なんて思いながら音楽に耳を傾けて浸っていた。今でもアイネクライネナハトムジークを聞くと、アパートの天井とあの時の焦燥感がよみがえる。

変な子供だったなぁ
皆、そうなのか?

うちの兄は音楽が好きで、赤いラジカセを持っていた。
小学生の時は5年生ぐらいまで一緒の部屋で寝ていたが、寝る前に兄がラジカセでブルーハーツをかけていたのを思い出す。
これから寝るというのにトレイントレインのイントロを聞くとドキドキして気持ちが高揚したのを思い出す。でも思い出すのはあのイントロが始まる所で、その先は思い出せないのできっと寝落ちしていたのだろう。

兄は中学生になると私にピアノを教えろと言い出した。
そしてピアノでX(エックス)のエンドレスレインを練習するようになった。
私たち家族は一軒家に引っ越していて、ピアノも祖父の家から無事うちの家に引っ越して来ていた。
祖父の家から出すときにクレーンを使ったかどうかは思い出せない。

私はクラシックが好きだったはずなのに、ピアノでポップスを弾くようになり、ピアノを弾きながら歌を歌うのは好きだったけど、ますます練習をさぼるようになった。
あの頃ちゃんと基礎を練習してたらもっとピアノが弾けたのにな~と思うけど、大人になってピアノを弾きたいと思う今でさえ、根気が続かず上達しない。

これまで一度だけ、毎日ピアノを練習した時があった。
大好きな叔母が癌になった。末期がんで2年近く闘病したのだけど回復できずにホスピスに入った。
死を受け入れた人たちが過ごしている場所だからか、上手く言葉に出来ないけれどそこは空気の流れが違っていて、まるで天国のように感じた。
そのホスピスのリビングにアップライトピアノがあった。

「朝の早い時間とか夜の遅い時間でなければ、誰でも自由に弾いていいのですよ」と看護師さんが言っていた。

私がその時、暗譜していた曲は全部、悲しい曲ばかりでコンセプトがいかんと思い、新しい曲を練習して叔母に聴かせることにした。
チャイコフスキーのアンダンテカンタービレ。
ある日、叔母と一緒にランチを食べた場所でBGMに流れていた曲。
珍しく彼女がタイトルを知りたがり、お店の方にタイトルを教えてもらって、後日、私がCDをプレゼントした、思い出の曲だ。
この曲を弾いたら叔母が元気になる気がした。
私の職場の講堂にはピアノがあったので、毎日ランチタイムにピアノを練習しにいった。
でも練習出来て一日30分弱、それまで全く練習してなかったから楽譜を読むのも時間がかかる。
私の上達に反比例して叔母は一日のうちで寝ている時間がどんどん長くなり、あともう少し練習時間が取れたら弾けると思っていた年末に叔母は亡くなってしまった。
アンダンテカンタービレ、せっかく上手になったのに。
叔母に聴かせることが出来ずに悲しい気持ちのまま、そのまま練習するを辞めてしまった。
楽譜はまだ手元にあるので、いつか弾けたらいいなと思う。

こうしてピアノの思い出を思い返していると、鍵盤に触りたくなる。
祖父のアップライトピアノは、いまも実家にあり、だれも弾かなくなったから処分しようという話が時々出るのだけれど、そのたびに両親にちょっと待って!とお願いしている。
いつか私が一軒家に引っ越した時に持っていくからと。

結婚したら一軒家に住んでピアノも弾き取れるだろうと思っていたけど、アパート暮らしのまま離婚してしまったし、いまはアパート暮らしの気ままさ故に一軒家に住もうともまったく思ってないのだけど。。

いつかピアノを弾き取れたらいいなぁ
その時はまたアンダンテカンタービレを練習しよう

そんな事を考えたりしながら、私とピアノを口ずさんでます♪
いい歌だよね

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